令和2年度 戦国の比企 境目の城

企画展「戦国の比企 境目の城」

【開催趣旨】

 戦国時代の比企地域は、相対する諸勢力の「境目」に位置することが多く、多数の城郭が築かれました。
 今回の企画展では「国指定史跡 比企城館群跡」の菅谷館跡・杉山城跡・小倉城跡・松山城跡の4城跡を中心に、戦国時代の城の役割や構造、比企地域の城跡見学の参考となる情報などをご覧いただきます。

 

【開催期間】 令和2年12月5日(土)~令和3年2月14日(日)

       ※新型コロナウィルス感染防止のため令和2年12月23日(水)から臨時休館
【休  館  日】 月曜日(ただし令和3年1月11日、2月8日は開館)、年末年始(12月29日~1月3日)

【会  場】 嵐山史跡の博物館 〒355-0221 埼玉県比企郡嵐山町菅谷757

【観  覧  料】 一般100円、高校生・学生50円(団体20名以上60円、高校生・学生30円)
       中学生以下の方、障害者手帳をお持ちの方(付き添い1名まで)は無料 

【総展示資料数】 96点

【展示概要】
(1)比企の戦国時代と城郭

 古河公方足利市と関東管領上杉氏を中心に抗争があった戦国時代前期、小田原北条氏・越後上杉氏の攻防と豊臣秀吉の小田原征伐があった戦国時代後期を紹介します。この時代背景のもと、比企地域にどのように城郭が築かれていたのか明らかにします。

 (2)国指定史跡 比企城館跡群

 菅谷館跡・杉山城跡・小倉城跡・松山城跡は、保存状態が非常に良好で、北武蔵(埼玉県域)の戦国時代の歴史や城郭の特徴をよく残す遺跡として、平成20(2008)年3月に「比企城館跡群」として国の史跡に指定されました。
 菅谷館跡は鎌倉時代初頭に活躍した武士の館跡が戦国時代に拡張整備され城郭になったといわれてきたこと、杉山城跡は戦国山城の最高傑作のひとつとして高い評価を得た城郭であること、小倉城跡は関東では珍しい石積みのある中世城郭であること、松山城跡は絶えず戦場になった城郭であることが、指定の理由でした。

〈主な展示資料〉
・菅谷館跡から出土した彩色された板碑(当館蔵)
・杉山城跡に関する古文書の写本(福井県小浜市教育委員会蔵)
・杉山城跡の麓の家に伝えられていた戦国時代の甲冑(個人蔵・当館寄託品)
・松山城跡から発掘した鉄炮(火縄銃)の玉(吉見町教育委員会蔵)

 (3)幹線道路沿いに築かれた城郭

 城というと、支配者である武士の住居場所と考えがちですが、戦国時代の城郭は、戦の際に敵からの攻撃を防御する拠点、または前線基地として構築されたものでした。このため、城は自然地形を巧みに利用した要害の地に築かれました。
 また城は、地域を傘下に置くため、人々の往来や物品の輸送を監視する目的で主要街道など交通や運輸の拠点、宿場を臨むことができる場所に築かれました。

〈主な展示資料〉
・青鳥城跡から出土した馬の歯(当館蔵)
・越畑城跡から出土した渡来銭(北宋銭)(当館蔵)

 

【関連刊行物】 企画展「戦国の比企 境目の城」展示解説図録