お知らせ

菅谷館跡は、日本城郭協会から、平成29年46日《城の日》に、忍城(行田市)、杉山城(嵐山町)とともに「続日本100名城」に認定されました。平成19年4月に「日本100名城」として認定された、川越城(川越市)、鉢形城(寄居町)とあわせ、埼玉県内では5城が認定されたことになります。

〈埼玉新聞 平成29年4月30日(日)掲載記事〉

菅谷館跡図
館跡図
菅谷館跡

 比企丘陵のほぼ中央、都幾川の清流を眼下に望む菅谷館跡(すがや・やかたあと)は、鎌倉時代に武蔵武士の畠山重忠が居住した所と伝えられています。重忠以後は、わずかな文献[「梅花無尽蔵(ばいかむじんぞう)」や「東路の津登(つと)」など]に記されているだけで、詳しい変遷を明らかにしませんが、戦国時代には数度にわたる改築を受けて城郭として整備拡大したものと思われます。今日見られる遺構は、戦国時代の城郭の姿を示しているものです。
 昭和48年に国指定史跡に指定されました。平成20年3月には「比企城館跡群菅谷館跡」と指定名称が変更されました。
  平成29年4月6日には、日本城郭協会より、「続日本100名城」に認定されました。

 

《目次》

 

 菅谷館跡の位置と歴史

2 菅谷館跡の構造 

3 畠山重忠と菅谷館跡

 

 * 解説文は、当館のガイドブック『資料館ガイドブック1 国指定史跡 菅谷館跡』(1984年)より抜粋引用しています。