嵐山史跡の博物館紹介
嵐山史跡の博物館
 当館は、鎌倉時代の武士の館[菅谷(すがや)館]があったと伝えられ、戦国時代の城郭[須賀谷(すがや)城]の跡に立地している博物館です。
 そのことから以下のようなものを扱う史跡系(考古系)の博物館となっています。

 
1 中世の館や城郭
2 当館跡にあったと伝承される菅谷館のあるじであった畠山重忠をはじめとする武蔵武士
3 板碑(板石塔婆)・五輪塔・宝篋印塔などの中世 石造物
4 中世寺院や寺院跡
5 窯跡など中世の生産遺跡
6 鎌倉街道上道などの中世古道

 展示・歴史講座などの内容・テーマや、調査研究対象の時代は、中世(平安時代末期から戦国時代の終わりまで)に特化しています。

 当館は1976年4月に埼玉県立歴史資料館として開館し、その後2006年4月1日に県立博物館施設の再編整備計画に基づき、菅谷館跡に関する資料及び中世城館など中世の史跡に関する考古資料の収集、保管及び調査研究を行うとともに、その活用を図り、教育・学術及び文化の発展に寄与することを設置目的とした博物館として再出発しました。この時、館名を埼玉県立歴史資料館から現在の名称に変更しました。

◆ 博物館のミッション(使命)
◆ 沿 革
 
菅谷館跡
嵐山史跡の博物館空撮  菅谷館跡は鎌倉時代の武蔵武士 畠山重忠の居館跡と伝えられていますが、現在のこされている遺構は後に再編拡大した戦国時代の城郭跡です。面積は約13万平方メートル(東京ドーム約3個分)あります。大正12年(1923)に県指定史跡、昭和48年(1973)に国指定史跡「菅谷館跡(すがややかたあと)」に指定されました。そして、平成20年(2008)に「比企城館跡群(ひきじょうかんあとぐん) 菅谷館跡」と名称変更されました。
 また、自然豊かな菅谷館跡は、四季折々に美しい花が咲きます。春にはサクラやすみ、キンラン、ギンラン、夏にはヤマユリ、秋から冬にはカンザクラや小さな草花を楽しむことができます。

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